田舎坊主の読み聞かせ法話  By  cover art

田舎坊主の読み聞かせ法話

By: 田舎坊主 森田良恒
  • Summary

  • 田舎坊主の読み聞かせ法話 田舎坊主が今まで出版した本の読み聞かせです 和歌山県紀の川市に住む、とある田舎坊主がお届けする独り言ー もしこれがあなたの心に届けば、そこではじめて「法話」となるのかもしれません。 人には何が大事か、そして生きることの幸せを考えてみませんか。
    田舎坊主 森田良恒
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Episodes
  • 田舎坊主の七転八倒<後ろがうるさい>
    Jun 13 2024

    法事に必要な時間は約1時間です。

    その内訳はおおよそ読経が25分から30分、法話が10分、そのあとお墓参りをして終了となります。

    読経の最後には、般若心経や諸真言など法事に来られる年齢の方々なら比較的なじんでおられるお経を中心に「仏前勤行次第」という手づくりの小冊子を配って、みんなでお唱えします。

    こんな方法にしたのは、昭和52年ころ法事にお参りして読経をしているときのことがきっかけでした。

    当時は、法事に招かれる親類縁者のほとんどがミカン農家でした。

    その人たちがそれぞれ農作業の進み具合や消毒、摘果、実のなり具合などを、法事最中、小声ではあるのですが真剣に話し出して、うるさいのです。

    坊主の後ろに座ってただ訳の分からないお経を聞いているのが、ある意味苦痛だったのでしょう。

    あるいは小坊主に遠慮は無用でお経の最中であろうとそれほど失礼とは思われなかったのだと思います。

    私が至らないことも大きな原因ですが、とにかくうるさいのです。

    そこでお経の最中の口封じのため考えたのが、昔ですから、鉄筆を使ったガリ版印刷で「仏前勤行次第」をつくり、みんなで一緒にお唱えすることだったのです。

    お経の後半で「ご一緒にお唱えください」と声かけをし、参列者全員で読経唱和を始めたところ、まずまず評判よく受け入れられました。しかも案外効果は早く出てきて、それ以来、読経中の会話は全くといっていいほどなくなりました。

    ところが困ったことも起きてきました。それは「仏前勤行次第」の冊子をほしいという人が増えてきたのです。

    しかしなんといっても当時はコピー機もワープロもましてやパソコンもありません。鉄筆で油紙に手書きし、インクを染みこませたロールを一回一回、押し転がしながら刷り上げ、一冊ずつ製本するのですから、増刷が大変なことはいうまでもありません。

    当初はお断りをし、お貸しするだけにしていたのですが、なぜか法事のたびに冊数が減っていくのです。

    そうです。内緒で持って帰られるのです。

    そこで思いついたのが冊子ではなくB4用紙一枚に「仏前勤行次第」すべてを書き込んだものをつくり、ほしい方にはそちらを差し上げることにしたのです。

    しかしそれでも、

    「冊子本の方が字が大きいから見やすいので、それがほしい」と、いいだす人もありました。

    そんなこともあったので、さらに思い切って、約400部つくって檀家皆さまに一冊ずつ差し上げることにしたのです。

    私は法事の時、よく言うことがあります。

    それは「寺から里へ」ということです。

    かつては、農家でとれた野菜やミカンなどをお寺へもっていくのはごく普通のことで当たり前のような行為でした。ですから「里から寺へ」は当たり前のことと言えます。

    反対に、お寺のお供え物やいただきものなどを檀家さんに配るようなことはまずありません。

    ですから「寺から里へ」という言葉は「めったにない」という意味をもっています。

    しかしこの田舎寺では「仏前勤行次第」を無料で差し上げます。

    「寺から里へを実践する、めったにないお寺なんですよ」と、もったいぶって差し上げるんです。

    合掌

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  • 田舎坊主の七転八倒<飲みすぎました>
    Jun 6 2024
    法事などで僧侶に出す食事のことを「斎(とき)」といいます。 平成に変わるまでは、本膳・二の膳が一般的で三の膳がつくところもありました。 このうち三の膳は家で待ってる家族のためのものと聞いたことがありますが、現在ではもっぱら幕の内が主流となっています。 お釈迦さまの時代から僧侶に食事を提供することはとても大きな功徳があるとされてきました。 「斎」について、お盆の行事が始まりとされます。 古来インドでは、4月15日から7月15日の雨期の間、僧侶は外出を禁じられ、合同で室内で修行する安居(あんご)という期間がありました。 その安居が明ければ「僧侶たちに斎を施し、供養しなさい」とすすめられたことが斎を施すはじまりであり、お盆の起源となったとあります。 * また、こんな逸話があります。 お釈迦さまの弟子であるモッガラーナ(目連)が、餓鬼道というつらい地獄の一つに落ちた母を救うため、その方法をお釈迦さまに聞きました。そもそも、モッガラーナ(目連)の母が餓鬼道に落ちた理由は、他を愛することがなかったからです。 子どもであるモッガラーナ(目連)はなによりも大切に、あふれるほどの愛情をもって育ててきたけれど、母は他の子どもや人には目もくれず、それらを大切にし愛する心がなかったため、餓鬼道に落ちたのです。 そのため、他を思う心を持つ実践として、人々の幸せや平安を願う修行をしている僧侶たちに食事を提供することがとても大切なことだとモッガラーナ(目連)はお釈迦さまに諭されたのです。 そしてこのことがお盆の行事である「お施餓鬼」として、自分の先祖や縁故だけをお祀りするのではなく「三界萬霊抜苦与楽」と書かれた、自分と縁のない仏さまにも水を手向けるお盆の習慣ができたのでしょう。 * また、お寺の護寺運営の費用としてほとんどの寺院が檀家さんから「斎米(ときまい)」と称する志納金をいただいています。 昔は春と秋に麦や米などでお寺に納められていましたが、今ではほとんどお金で納められます。 お寺の護持運営といいながら、かつては専業坊主では食べていけなかったため、これが基本給みたいなもので、坊主の食いぶちだったようです。 ちなみに私の田舎寺では現在、年間2500円の斎米料をいただいていますが、光熱費や本堂のお供え物、修繕費などまさに護寺管理費に消えてしまいます。いじましい話しですが、当時の斎米料は1000円だったため、法事での斎には助けられたものです。 * 今ではこの田舎でも専業農家は少なくなり、法事に集まる人は勤め人が多く、法事も土・日曜日や休日で、平日に法事をおこなう家はほとんどありません。そのため休日に法事が重なり、どうしても食事に同席することができなくなり、お布施とは別にお膳料を包んでくれる家が多くなりました。 アメリカ向けのミカン栽培が最盛期だった昭和五十年ころは、農家は専業で勤め人も少なく、檀家のほとんどが農家の人たちで、休日平日を問わず法事をしてくれたので必ずと言っていいほど法事のあとの食事、斎をいただくことが多かったのです。 * そんなある日の法事でいつものとおり上座に座り、当家の親戚の人たちと杯を交わしているうち、 「なかなか若はんは、いける口やなあ。やっぱり親院家はんの子やなあ」などとおだてられ、若気の至りとでもいうべきか、へべれけに酔ってしまいました。あげくのはてには、当家の方3人ぐらいで寺まで送ってもらわなければならないほど酔ってしまったのです。 寺に帰ってきて、驚いたのは母親です。送ってくれた人に「申し訳ございません」と平身低頭するとともに、酔ってただただ笑い続けている私を裏の井戸の前に引きずっていき、裸にさせたうえ何杯もの水をぶっかけました。 それでも笑い続ける私に、「法事で酔っぱらうにもほどがある!」と、かなしかなり怒っていたのを覚えています。もちろん覚えているのは水をかけられてから後のことです。 こんどは母を怒らせてしまいました。 私が母に怒られたのは、人生でこのとき一度だけでした。 このことがあってから毎年、大晦日の除夜の鐘が鳴...
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  • 田舎坊主の七転八倒<塔婆が逆>
    May 30 2024

    法事には塔婆がつきものです。塔婆、正式には卒塔婆です。


    当地ではこの塔婆、亡くなられた方の戒名を書いたものと、施主当家の先祖代々の菩提供養を書いたものの二本が基本的なもので、法事のご先祖が複数霊あればそのぶん塔婆の本数が増えることになります。

    塔婆はおうちで読経を済ませたあとみんなで墓参りの際に持参し、墓石の後ろか塔婆立てにさし、故人の供養をするものです。


    現在ではこの塔婆、お寺が用意し、法事の依頼があれば前もって書いておいて法事当日に持参するのですが、私が小坊主の頃は、田舎といえども小さな雑貨店があって、そこで当家が必要な本数の塔婆を買い求め、床の間にしつらえられた祭壇の横に墨汁の入った硯とともにその当家が準備していました。

    来客が正座し、その衆人環視のなか、法事が始まる前、おもむろに幅7センチ長さ90センチの塔婆を左手で持ち、右手に墨を含ませた筆を持ってサラサラ、サラと格好良く梵字から始まって戒名を書くのですが・・・。

    そんなふうにうまくいけばいいのですが、そもそも世間一般には「坊主は字が上手」と間違った(?)常識が流布しているなかで、愚僧は字が汚いことこの上なく、苦手なのです。

    しかも法事にひとりでいきはじめてまもなくの頃です。法事のお客さま全員の目が一点筆先に集中するのですから、緊張するのなんのって・・・・。

    しかし、ここで逃げることもできないため、取りあえず、祭壇の位牌を見ながらやっとのことで2本の塔婆を書き終えました。

    ところが、どうも塔婆の姿がおかしいのです。

    立てて祭壇に並べてみると・・・・上下逆なのです。


    昭和48年ごろの塔婆は現在のように梵字の部分が五輪塔のような切り込みがなく、上部が緩やかな三角に面取りされ、足下は土中に差し込むために鋭く矢先のように切り込まれています。

    それでも本来なら間違うことはないのですが、あまりの緊張にそのときは足もと部分から梵字を書きはじめてしまったようです。

    祭壇に立ててすぐ気づいたので、

    「申し訳ないです。塔婆を天地逆に書いてしまいました」と話したところ、

    「いやあ、べつに分からへんからいいですよ」と、はっきり上下逆と分かるにもかかわらず、施主さんはいやな顔一つせず優しく了解してくれました。

     

    何十年も前の昔のことなのに、そのときのことは今でもはっきり記憶に残っています。

    そしてそのとき、人の間違いを、あるときには優しく受け入れ、包み込むことの大切さを学んだように思いますが、いまだに私自身実行できているか大いに疑問に思うこの頃であります。

    合掌

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