#5-2 SNSで気持ちを書ける理由は明治時代にある
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「自分の気持ちを言葉にしよう」「内面を表現しよう」「本音を語ろう」——これ、実は150年前に「発明」されたものだって知ってましたか?前回は「言語化には6つのタイプがある」という話をしました。今回は視点を変えて、歴史の話をします。文芸批評家・柄谷行人の『日本近代文学の起源』という本に、衝撃的なことが書いてある。「風景」も「内面」も、明治20年代に発明されたものだ、と。山や川は昔からあった。人間の心の動きも昔からあった。でも、それを「風景」として見ること、「内面」として言葉にすること——その認識の枠組み自体が、近代に入ってから生まれた。芭蕉は「古池や蛙飛びこむ水の音」と詠んだけれど、目の前の池を見ていたわけではない。過去の文学作品の中にある「古池」という言葉を使っていた。では、いつから日本人は「風景」を見て、「内面」を語れるようになったのか。そこには「言文一致」という革命と、ロシア文学の翻訳という意外な要素が関わっていた。「内面があって、それを言葉にする」のではない。「言葉が先にあって、その言葉によって内面が見えるようになる」。この順番の逆転が、今回の核心です。▼ タイムスタンプ00:00 オープニング・前回の振り返り01:00 「内面の言語化」は150年の歴史しかない02:00 柄谷行人『日本近代文学の起源』02:45 「風景」と「内面」は明治に発明された04:30 芭蕉は「風景」を見ていなかった07:00 国木田独歩『武蔵野』──風景の発見09:30 「孤独な主体」と「個人」の概念11:30 風景と内面は表裏一体13:00 言文一致運動とは何か15:30 前島密と漢字廃止論17:00 二葉亭四迷『浮雲』の衝撃19:30 ツルゲーネフ翻訳が生んだ文体21:30 「告白」という制度23:00 土佐日記の仮面性──近代とは正反対25:30 VTuber・バ美肉・物語思考26:00 まとめ:言葉が先、内面は後27:30 次回予告:言語化と権力の関係▼ 編集後記今回の収録で一番盛り上がったのは「けんすうさん、ちょっと内面なさそう」のくだりでした。本人も「ない。……ないってことはない」と微妙な返しをしていて、これはこれで「内面を言語化する難しさ」を体現している気がします。柄谷行人の議論で面白いのは、「言葉が先、内面は後」という順番の逆転です。僕たちは「まず気持ちがあって、それを言葉にする」と思っている。でも実際は、「内面を描写できる文体」が先に輸入されて、その文体を使うことで「内面」が見えるようになった。これ、現代にも通じる話だと思います。SNSで気持ちを書けるようになったのも、ブログやTwitterという「形式」が先にあったから。LINEスタンプで会話するのも、スタンプという「形式」があるからできること。表現の器が、表現される中身を規定している。途中で出てきた乙一さんの『小生日記』の話も印象的でした。一人称を「小生」にしただけで、だんだん嘘を書くようになっちゃった。紀貫之の土佐日記と同じ構造ですね。けんすうさんの『物語思考』も、キャラを先に設定することで行動が変わるという話なので、根っこは同じかもしれません。次回Part3では「言語化と権力」の話をします。言文一致を推進したのは誰だったのか。標準語の基準を作ったのは誰だったのか。「正しい日本語」を決めたのは、実は特定の階層の人々だった——という話です。(川地)▼音楽素材SE by OtoLogic https://otologic.jp/