青花茶話|28|公開会議|生活工芸の100年:「雑誌」と「うつわ」とその時代|井出幸亮+中村裕太+花井久穂 Podcast Por  arte de portada

青花茶話|28|公開会議|生活工芸の100年:「雑誌」と「うつわ」とその時代|井出幸亮+中村裕太+花井久穂

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2025年6月2日収録|約2時間半|於青花室(神楽坂)─内容|「生活/暮し」を切口に、この100年の工芸史を4章形式で編みなおすこころみ。「生活」概念(イメージ)を創出、更新してきた「雑誌」というメディアの変遷を追いながら、そこで紹介されることでやはり創出、更新されてきた「暮しのうつわ」の変遷を追う。・いずれ展示や書籍化を目標とするこの企画。せっかくなら打ち合わせの段階から公開し、さまざまな意見を取り入れながら進めていけないか──という話になりました。今回は、以下の鼎談のプレ会議として、花井久穂さん、井出幸亮さん、中村裕太さんが持参してくださった貴重な雑誌をめくりながら、「生活」がどのように語られ、示されてきたのかを探る雑談の様子をお届けします。長尺ですので、お好きなところからお聞きいただけますと幸いです!(平岡/青花スタッフ)──────────公開会議|生活工芸の100年:「雑誌」と「うつわ」とその時代|1|1921-45年:大正デモクラシーから戦争まで|井出幸亮+中村裕太+花井久穂・日時|2025年8月28日(木)18時-20時|開場17時半会場|青花室|東京都新宿区矢来町71 新潮社倉庫内(神楽坂)定員|30名→ 御予約はこちら──────────井出さんから|「工芸」という言葉はとても幅広い領域をカバーするものだが、その範囲を「生活の中にあるもの」と限定して捉え直してみると、やはり人間の最も根源的な活動である「食」を支える器(=食器)こそがその中心と考えることもできる。そうした人の暮らしの中心としての工芸が、日本社会の近代化の過程でどのように変化し、語られ、位置づけられていったのか。それらを、時々の社会を映し出すメディアとしての「雑誌」を通して探る、というのが本企画の要諦だが、そこにはメディアそのものが持つバイアスやその変遷も映し出されているわけで。実に多層のレイヤーが潜む一筋縄ではいかない旅に、中村さん花井さんという先達に教えを乞いつつ出かけたい。チャレンジングな企画の道行きをハラハラしつつ見守ってくだされば幸いです。・中村さんから|路傍の草の名を調べて、愛でることは素晴らしい。けれど、「あー雑草が伸びてきたな」と、ぼーっと眺めることも捨てがたい。この100年、いくつかの器は、雑誌のなかで「民藝、クラフト、雑貨、生活工芸」と呼ばれ、愛でられてきた。けれど、誌面には、名のない器たちも不意に写り込んでくる。文豪の書斎に置かれた湯呑、食品広告のカレーライス皿、露天の食堂に積み上げられた丼鉢。もしかしたら、そうした器の方が私たちの生活に寄り添ってきてくれたのかもしれない。このトークでは、そうした有名無名な器たちを平たくスクラップし、ぼーっと眺めることから始めてみたい。・花井さんから|2021年に「民藝の100年」という展覧会を作りました。あれから数年経ち、今度は「生活工芸の100年」について企画を考えてみませんか、と工芸青花の菅野さんからお声がけをいただきました。 「工芸」を考える前に、「生活」が気になります。「生活工芸」は2000年代初頭以前にも歴史上しばしば登場する言葉であり、言説でした。「生活」が指し示す内実は、時代ごと/階層ごとに異なるのではないか。過去の人々が思い描いてきた各々の「生活」なるものを、まずは見える形にするために「雑誌」を召喚することにしました。うつわの周りにびっしり並べられた言葉やイメージを採集することから始めたいと思います。 これは私の職能であり、性分なのかもしれませんが、何かを心からわからない、知りたいと思うとき、まずは対象の外部を丹念に描出することにしています。求心的な問いよりも、散漫な問いが物と物の間に挟まれた何かを見定めるのに効いてくることがある。雑誌とうつわを偏愛するお二方と「雑」談を繰り広げることはとても楽しい。物やイメージを扱う手つきとプロセスを開示しながら企画を練り上げてしまおう。こんなある種の「雑」な思いつきから鼎談という形が決まりました。──────────井出幸亮 IDE Kosuke編集者。1975年大阪府生...
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