高千穂さんのご縁です。 Podcast Por RKKラジオ arte de portada

高千穂さんのご縁です。

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仏教にまつわる色々なお話を、分かりやすくお話していただく番組です。仏教由来の言葉、豆知識、歴史、迷信、風習、教義、作法などなど。 出演は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さん。お相手は、丸井純子さん。

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★地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4 AM1197で、毎週水曜日 午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。

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Espiritualidad
Episodios
  • 【親鸞聖人の誕生日・降誕会】のお話。 親鸞聖人は結婚もし魚も食べ90歳まで生きた。
    May 21 2025
    🔶 今日は親鸞聖人のお誕生日高千穂さん:「本日5月21日は、親鸞聖人のお誕生日“降誕会(ごうたんえ)”です。旧暦でいうと4月1日、この日に親鸞聖人がお生まれになりました」親鸞聖人は1173年、平安時代の末期に京都でお生まれになりました。当時の日本は源平の争い、天災や疫病、大火や飢饉などが相次ぐ混乱の時代でした。🔶 9歳で出家、比叡山での修行の日々親鸞聖人は9歳で天台宗の僧・慈円(じえん)のもとで出家され、比叡山延暦寺に入山。その後20年にわたり、厳しい修行と学問に励まれます。高千穂さん:「比叡山は寒く、自然環境も厳しい場所です。そんな中で“今生きているまま仏となる”道を求め続けたのです」しかし、どれだけ修行しても煩悩を断ち切ることができない――そのことに悩まされ続けたといいます。🔶 六角堂の籠もりと夢のお告げ29歳のとき、修行に限界を感じた親鸞聖人は比叡山を下り、京都・六角堂で100日間の籠もりに入ります。その95日目の夜、夢に救世観音(くぜかんのん)が現れ、法然上人のもとへ行くようにと告げたと伝えられています。高千穂さん:「夢のお告げに導かれ、親鸞聖人は法然上人のもとへ通い、門弟となられました」この出会いこそが、のちの親鸞聖人の教えの出発点となったのです。🔶 流罪と“非僧非俗”の道しかし、その後ある事件が起こります。後鳥羽上皇の女官が無断で出家したことで、法然門下の念仏集団が弾圧されます。親鸞聖人は越後(現在の新潟)へ流罪となり、僧籍も剥奪されます。高千穂さん:「そのときから親鸞聖人は自らを“非僧非俗(ひそうひぞく)”と称されます。僧でも俗人でもない、ただ念仏を称える者として生きられたのです」流罪の地・越後では、結婚され、魚などを食べる「肉食妻帯」の生活もされながら、民衆と共に念仏の教えを広めていきました。🔶 関東へ、そして晩年の京都へ越後から関東へ、そして再び京都へ戻られた親鸞聖人。90年という当時では考えられないほど長い生涯を、念仏を伝え続けることに捧げられました。🔶 ロマンあふれる“発見”と親鸞聖人の実在意外なことに、大正時代までは親鸞聖人は架空の人物だと思われていたそうです。それが一変したのが、大正10年に西本願寺で発見された“真偽消息(しんにしょうそく)”という手紙でした。この手紙は、親鸞聖人の妻・恵信尼(えしんに)から娘へ宛てたもので、親鸞聖人の実像が詳細に記されていました。この発見により、親鸞聖人が実在した人物であることが初めて広く知られるようになったのです。🔶 まとめ:親鸞聖人が私たちに残したもの今週は「親鸞聖人のご誕生と生涯」についてお話を伺いました。高千穂さん:「親鸞聖人は90年の生涯を通じて、念仏の教えを実践し広め続けられました。流罪や弾圧という苦難の中でも、“すべては阿弥陀仏のおはたらき”と受け止め、生き抜かれた姿があります。私たちが今、念仏に出会い、救いを感じられるのも、親鸞聖人のご生涯があったからこそなんです」🔶 次回予告:「愚禿鈔(ぐとくしょう)」とは?来週は、親鸞聖人が遺されたお言葉の中から「愚禿鈔(ぐとくしょう)」をテーマにお届けします。“愚かなる禿(かぶろ)”と自らを名乗った親鸞聖人の真意に迫ります。お楽しみに!🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう
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    9 m
  • 【御朱印】のお話。 浄土真宗のお寺には御朱印が無い!?
    May 14 2025
    🔶 御朱印と浄土真宗:なぜ浄土真宗には御朱印がないのか?こんにちは、丸井純子(まるい じゅんこ)です。熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ みつまさ)さんとともに、仏教にまつわるお話をお届けします。🔶 御朱印ブームの現在最近、御朱印を集めるのが流行っています。テレビで芸能人が紹介したり、文房具店にはおしゃれな御朱印帳が並んでいたりして、目を引きますよね。しかし、意外に知られていないのが、浄土真宗のお寺には御朱印がないという事実。今回は、その理由と御朱印の歴史についてお話しします。🔶 御朱印のルーツとは?御朱印のはじまりは、お経を写してお寺に納めた証として印をいただくことにあります。特に「法華経」を納める際の受領印がその起源とされています。高千穂さん:「中世には“六十六部廻国聖(ろくじゅうろくぶかいこくひじり)”という人々が全国を巡って法華経を納めていました。その活動の証が御朱印だったんです」🔶 江戸時代の御朱印文化江戸時代には「御朱印帳」という冊子の形が普及し、参拝の証として御朱印を集める文化が広まりました。この背景には、当時の移動制限も関係していたといいます。高千穂さん:「江戸時代の人は簡単に他の藩に移動できなかったんです。でも“信仰のため”なら関所を通ることが許されていたので、神社仏閣への参拝は立派な旅行の理由になったんです」その参拝記録として御朱印帳は重宝されたのです。🔶 明治維新と御朱印の変化明治時代になると大きな社会変革が訪れます。「神仏分離令」によって神社とお寺は明確に分けられ、御朱印文化にも変化が生まれました。また、庶民が自由に移動できるようになり、信仰目的でなくても旅行が可能に。その結果、御朱印は「参拝記念」の性格が強くなっていきます。🔶 スタンプから御朱印ブームへ昭和初期になると「スタンプラリー」的な文化が浸透し、御朱印もまた「記念スタンプ」のように親しまれるようになります。高千穂さん:「近年の御朱印ブームも、平成後期から現在にかけて徐々に広まりました。特別なきっかけがあったというより、SNSなどで紹介される中で自然と人気が出てきた印象です」🔶 では、なぜ浄土真宗には御朱印がないのか?仏教の多くの宗派では、写経や参拝を通じて“功徳”を積むことを重視します。御朱印は、その功徳の証として存在するものでした。高千穂さん:「しかし、浄土真宗は“自力で功徳を積む”教えではないんです。阿弥陀如来の救いの力にすべてをお任せし、念仏を申して生きる教えです」そのため、写経や御朱印という修行的な行為を行わないのが真宗の特徴でもあります。🔶 参拝記念スタンプはありますとはいえ、築地本願寺や西本願寺などでは“参拝記念スタンプ”を用意しているお寺もあります。高千穂さん:「御朱印ではありませんが、お参りの思い出として記念スタンプを押してもらうのは歓迎されています。気軽に受け取れるので、ぜひ旅の記念にどうぞ」🔶 まとめ:御朱印に込められた意味を知る今週は「御朱印と浄土真宗」についてお話を伺いました。高千穂さん:「御朱印はもともと写経を納めることで功徳を積む証として始まりました。それがやがて時代の変化とともに“参拝記念”の役割に変わり、文化として定着しました」しかし、浄土真宗の教えでは“阿弥陀仏のはたらき”によって救われるとされ、自力修行による功徳の蓄積を必要としません。高千穂さん:「だからこそ、真宗には御朱印がないんです。でも、参拝の喜びを形に残す“記念スタンプ”というかたちで、仏縁にふれることはできますよ」* 例外的対応ただし、近年では観光客への対応や文化的な側面として、一部の浄土真宗寺院で限定的に御朱印を授与しているところもあります。たとえば、「参拝記念」として日付入りの印を押すスタイルで、他宗派のような「納経」や「修行の証」としてではなく、あくまで記念印的な扱いで行われています。🔶 次回予告:「親鸞聖人の誕生日・降誕会」次回は、親鸞聖人の誕生日を祝う降誕会...
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    9 m
  • 【仏教と子ども】のお話。 お寺は子どもたちの学びの場
    May 7 2025
    🌟今回は「仏教と子ども」のお話。 お寺は子どもたちの学びの場だった🔶 仏教と子ども:お寺は学びと育ちの場こんにちは、丸井純子(まるい じゅんこ)です。熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ みつまさ)さんと一緒に、仏教にまつわるお話をお届けします。🔶 お寺は高齢者だけの場じゃない?高千穂さん:「“お寺=法事やお葬式の場所”というイメージを持たれる方も多いと思いますが、実は昔から子どもたちのための行事や学びの場でもあったんです」その代表が「日曜学校」と呼ばれる活動。これは仏教の教えを子どもたちに伝えるための取り組みで、実はキリスト教の“サンデースクール”と似た側面もあるのだとか。🔶 お寺の教育といえば“寺子屋”教育とお寺の関係といえば「寺子屋」を思い浮かべる方も多いでしょう。高千穂さん:「寺子屋は、平安時代に始まったお寺での教育がルーツとされ、江戸時代には読み書きそろばんなどを教える庶民の教育の場でした。武士の子どもは武家屋敷で、庶民の子どもはお寺で――そんな時代背景があったんです」このように、お寺はかつて“地域の学び舎”でもあったのです。🔶 仏教版サンデースクール「日曜学校」そして、もう一つの大きな柱が「日曜学校(少年教化)」です。高千穂さん:「その起源は、明治13年(1880年)、福岡・博多の萬行寺にて七里恒順先生が始めた活動にさかのぼります」少年少女に向けて、親鸞聖人や阿弥陀様の教えを伝えるこの活動は、やがて全国の寺院へと広がっていきました。🔶 日曜学校の中身って?一般的な日曜学校では、まずお経をみんなでお勤めし、その後は紙芝居や影絵、レクリエーション、ゲームなどを楽しみます。高千穂さん:「最後にみんなで歌を歌って終了、というのが定番の流れです。地域によっては昔話を語るお年寄りを招いてお話会をしたり、民話を通じて熊本の歴史を伝える場にもなっていました」今では少子高齢化やコロナ禍の影響で開催が難しいお寺も増えていますが、お寺を楽しい思い出の場所にするための取り組みとして大切にされてきたのです。🔶 「児童念仏奉仕団」という夏の体験夏休みや春休みに行われるのが「児童念仏奉仕団」という特別な活動です。高千穂さん:「熊本の子どもたちが集まって京都・西本願寺へ行くんです。念仏を称え、奉仕活動を行い、仏教に親しむだけでなく、水族館やユニバーサル・スタジオ・ジャパンといったお楽しみもあります」宗教行事と修学旅行、そして仲間との交流が一体となったこの経験は、参加した子どもたちの心に深く残ることでしょう。🔶 子どもたちと、もう一度お寺で丸井:「仏嚴寺さんでも昔は子ども会をしていたんですよね?」高千穂さん:「はい、少子化の影響で今はお休みしていますが、もし“やってほしい”という声があればぜひ再開したいと考えているところです」地域に子どもたちが集う場所が減っている今だからこそ、お寺のあたたかさと仏教のやさしさを届けたい――そんな思いが伝わってきました。🔶 まとめ:子どもたちの心に仏の種をまく場所今週は「仏教と子ども」をテーマにお話を伺いました。高千穂さん:「お寺は昔から子どもたちの成長に寄り添ってきました。日曜学校や児童念仏奉仕団などを通して、命の大切さや感謝の心を育てる場でもあったんです。うちのお寺でも、またそんな活動ができる日を楽しみにしています」🔶 次回予告:「浄土真宗には御朱印がない?」次回は「浄土真宗には御朱印がない?」という、ちょっと意外なお話をお届けします。どうぞお楽しみに!🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。
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