田舎坊主の読み聞かせ法話  By  cover art

田舎坊主の読み聞かせ法話

By: 田舎坊主 森田良恒
  • Summary

  • 田舎坊主の読み聞かせ法話 田舎坊主が今まで出版した本の読み聞かせです 和歌山県紀の川市に住む、とある田舎坊主がお届けする独り言ー もしこれがあなたの心に届けば、そこではじめて「法話」となるのかもしれません。 人には何が大事か、そして生きることの幸せを考えてみませんか。
    田舎坊主 森田良恒
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Episodes
  • 田舎坊主の七転八倒<塔婆が逆>
    May 30 2024

    法事には塔婆がつきものです。塔婆、正式には卒塔婆です。


    当地ではこの塔婆、亡くなられた方の戒名を書いたものと、施主当家の先祖代々の菩提供養を書いたものの二本が基本的なもので、法事のご先祖が複数霊あればそのぶん塔婆の本数が増えることになります。

    塔婆はおうちで読経を済ませたあとみんなで墓参りの際に持参し、墓石の後ろか塔婆立てにさし、故人の供養をするものです。


    現在ではこの塔婆、お寺が用意し、法事の依頼があれば前もって書いておいて法事当日に持参するのですが、私が小坊主の頃は、田舎といえども小さな雑貨店があって、そこで当家が必要な本数の塔婆を買い求め、床の間にしつらえられた祭壇の横に墨汁の入った硯とともにその当家が準備していました。

    来客が正座し、その衆人環視のなか、法事が始まる前、おもむろに幅7センチ長さ90センチの塔婆を左手で持ち、右手に墨を含ませた筆を持ってサラサラ、サラと格好良く梵字から始まって戒名を書くのですが・・・。

    そんなふうにうまくいけばいいのですが、そもそも世間一般には「坊主は字が上手」と間違った(?)常識が流布しているなかで、愚僧は字が汚いことこの上なく、苦手なのです。

    しかも法事にひとりでいきはじめてまもなくの頃です。法事のお客さま全員の目が一点筆先に集中するのですから、緊張するのなんのって・・・・。

    しかし、ここで逃げることもできないため、取りあえず、祭壇の位牌を見ながらやっとのことで2本の塔婆を書き終えました。

    ところが、どうも塔婆の姿がおかしいのです。

    立てて祭壇に並べてみると・・・・上下逆なのです。


    昭和48年ごろの塔婆は現在のように梵字の部分が五輪塔のような切り込みがなく、上部が緩やかな三角に面取りされ、足下は土中に差し込むために鋭く矢先のように切り込まれています。

    それでも本来なら間違うことはないのですが、あまりの緊張にそのときは足もと部分から梵字を書きはじめてしまったようです。

    祭壇に立ててすぐ気づいたので、

    「申し訳ないです。塔婆を天地逆に書いてしまいました」と話したところ、

    「いやあ、べつに分からへんからいいですよ」と、はっきり上下逆と分かるにもかかわらず、施主さんはいやな顔一つせず優しく了解してくれました。

     

    何十年も前の昔のことなのに、そのときのことは今でもはっきり記憶に残っています。

    そしてそのとき、人の間違いを、あるときには優しく受け入れ、包み込むことの大切さを学んだように思いますが、いまだに私自身実行できているか大いに疑問に思うこの頃であります。

    合掌

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    7 mins
  • 田舎坊主の七転八倒<天井がまるでお肉>
    May 23 2024

    檀家さんにとって私のような小坊主でも、寺の跡継ぎができた安心感やもの珍しさもあり、法事も新鮮な感じがするとかで、案外歓迎されているように思います。

    しかし法事の後、「斎(とき)」とよばれる食事の席につきますが、食事をいただいていて皆さんだんだんお酒が回ってると、法衣を着て上座に座っている坊主であっても、参列者から

    「今の若いもんは・・・」という話になることがたびたびあります。

    昭和50年ごろ、法事に来る大人の人たちは、戦中戦後の食糧難の時代を乗り越えた人ばかりで、小学校の校庭にまでサツマイモを植えてそれを主食とした世代です。

    しかしイモだけでは足らずイモの蔓まで食料にしたという飢えた時代を体験した人の、食べ物に限らず、なによりも物の大切さを話す言葉には大きな説得力がありました。

    それに比べて、私は高野山の宿坊で小坊主時代を過ごし、ご馳走と呼べるものは食べられていなかったとはいえ、白いご飯だけはタップリあったし、おかずはなくても空腹になることはありませんでした。

    ですからほんとうの空腹やひもじさというものを感じたことがないのです。

    そんな私がひもじく辛い時代を生きてきた人たちよりも上座に座り、法衣を着て法事を勤めるためには、せめてほんとうの空腹感を経験する必要があると思い始めました。

    そこで断食です。

    私がお世話になった断食道場には、多くの人が内臓の調子を整えるために来られていました。

    そこでは最長の断食期間が一ヶ月で、そのうち本断食とよばれる絶食期間は一週間と決まっています。

    しかし私はこれを修行と思い、どんなことが起こっても自分が責任をとるということで、無理にお願いして本断食を二週間にさせてもらうことになりました。

    これで、はじめの一週間が減食期間、次の二週間が本断食、残りの一週間が復食期間と決まりました。

    本断食中には夜、布団に入ると空腹にさいなまれ、部屋の天然木の天井板がまるでお肉が並んでいるように見えるといった妄想にかられました。

    ようやく本断食が終わり、減食開始から22日目に復食が始まりました。久しぶりに食べものを口にすることができる日が来たのです。

    食べものといっても一日二杯のおも湯です。

    ところが、このただのお粥の汁のようなおも湯が、なんと美味しいこと!美味しいこと!

    涙が出るほど、おいしいのです。

    このときに思いました。

    おなかが空っぽだったからこそ、おも湯に豊かで深い味わいを感じることができたのだと。

    そして足らないことを経験してみないと、豊かなものを感じることができないのだと、そのときつくづく思い知らされました。

    この断食を終えて家に帰ったとき、一ヶ月で10キロ近くやせた私を迎えてくれた母が、「痩せてかわいそうに」と、号泣するのです。

    はじめて母を泣かせてしまいました。

    思い出の断食道場は先日の火事で焼け落ちてしまいました。

    合掌

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    8 mins
  • 田舎坊主の七転八倒<高野山へー親の心子知らずー>
    May 16 2024

    親の心子知らず

    結局、高校、大学と高野山で過ごし僧侶になる修行は済ませたものの、大学卒業後の進路は寺の跡継ぎではありませんでした。

    というのも私が高野山大学で専攻したのは当時新設された社会福祉学科だったため、大学としても社会福祉学科第一期生としてできるだけ多くの卒業生を社会福祉関連に就職先を決定させるという目標を掲げていたのです。

    そのためいくつかの施設で実習や研修をおこなったうえで、私は大阪のある介護老人保健施設に就職を決めていました。

    しかし、当然ながら父親は私の就職を受け入れず、みずからが役場つとめをしながら住職をしていたことから、自分と同じような役場つとめをするか、または坊主をしながら学校の先生になるか、執拗に兼業をすすめてきたため、かえって反抗し続けた私がいました。

    このときには、父親が兼業だったからこそ私たち兄弟3人を育て上げ、大学までいかせることができたのだということを考える余裕などまったくありませんでした。

    父親に対する反抗心が、“どうせお寺を継ぐのであれば専業でやっていく”という意地のようなものを私に芽生えさせたのです。

    しかし現実はきびしいもので、お寺にいても仕事がないのです。

    若いのにぶらぶらしているように思われるのがいやで、朝8時から夕方5時まで紀ノ川で魚釣りをして時間をつぶす日が続きました。

    そんななか一番心癒やされたのは、共働きの兄夫婦にできた姪っ子の子守でした。

    かわいい姪っ子が私を慕ってくれ、子守は日々の唯一の楽しみでもありました。

    父親は兼業のため日行参りはいってませんでしたので、私は坊主専業でいくならこれではいけないと、昭和49年、古い過去帳を整理し、お参りカレンダーをつくり日行参りを始めるようにしました。

    毎日、檀家さんに「お参りさせてもらってもよろしいでしょうか?」と電話をかけ、少しずつ仕事をつくっていったものの、あるときには、「若いのにあまり仕事がなかったら、体がなまってしまわないかい?」と、皮肉をいわれることも二度や三度ではありませんでした。

    檀家さんの目を気にしながらも、ほんとうの空腹を知るために断食道場にいき、帰ってきてからはご詠歌も習い始め、専業坊主めざし五里霧中のなか、私は何かを探すように坊主が手探りで歩き始めたのです。

    合掌

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    6 mins

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